きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

好きな仕事をつかむための条件

 

こんにちは。
メイクせんといかんzoomミーティングより、
音声だけのclubhouseミーティングがいいと
密かに願っている今日このごろです。

 

さて今日のテーマは、こちら。
好きな仕事をつかむための条件

 

好きなことが見つからずに悩む声を
間接的に聞いたりします。
いまは仕事の選択肢が広がった上、
SNSを開けばやりがいを持って働く
他人の姿が目に入るので、
「好きな仕事をしなければ」
そんな思いも強まるかもしれません。

 

~  ~  ~

 

私は、こちらの自己紹介動画で語ったように
いつも好きなことがあったので、
「仕事=好きなこと」でやってきました。
37 高卒から院卒.png
38 大学院.png


でも、どんぴしゃの仕事が
すぐにつかめたわけではないんです。

最初の仕事は夢だったエレクトーンの先生。
確かに好きなことを仕事にしました。

ただ、私は都内で働きたい!と強く思っていました。
本当に強く、強く、思っていたんです。
実家は1時間で銀座に出られる所にあるから
田舎ではないんですが、
「絶対に東京!」でした。カッコいいから(笑)。

でも、それは最後まで叶いませんでした。

4年間、埼玉県内の3つの教室を
曜日ごとに回って教えました。
一生懸命やっていたら、
途中から都内へのこだわりはなくなり、
目の前の生徒さんに集中。
とても楽しく、大きなやりがいを得ました。

~  ~  ~

転職した出版社でも同じでした。
「書くのが好き=出版社に入りたい」
これは叶えました。
でも、配属は希望通りとはいきませんでした。
入社した出版社では当時、
一般誌『月刊ザ・ホテル』(廃刊)の2誌があり、
『ホテレス』に配属されたときは
正直がっかりしました。
そのころの私は、経営に何の興味もない25歳。
硬派な経営情報誌の『ホテレス』よりも、
カラー写真満載のお洒落な『ザ・ホ』がよかった。
でも、配属されたのなら仕方ありません。
能力も経験も、何の力もないのですから。

 

なのでとにかく、
『ホテレス」でがんばりました。
めちゃめちゃ働きました。

 

副編集長時代、ある女性誌の取材を受けて
にこにこしながら私が語ったのは、
「月の残業は100時間です」(^^)って。
いまなら完全アウトですね。
でもあの時期の、がむしゃらに働いた経験は
確実に仕事の基礎体力になったと思います。
これは身体的な体力というよりも、
「やるだけやるぞ」という気持ちの力です。

 

※ もっとも、月に100時間も残業していたら、
    心がやられてしまう場合もあるので、
    全くお勧めはいたしません。

 

で、がんばっていたら、
そのうち『ホテレス』が好きになり、
やりがいになりました。
もう『ザ・ホ』がいいとも思いません。
7年勤めて2000年に独立し、
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
今に至ります。

 

~  ~  ~

 

いま私なりに思うのはこういうことです。

 

力のないうちは、
自分の好みは脇に置いといて、
目の前の仕事を一生懸命、やるだけやる。

 

「もっとよくできないか」と、
常に考えながら、やるだけやる。
力がないということは、すなわち、
「選べない」ということ。
選べない人生はつまらないから、
選べる権利を持てるよう、やるだけやる。

自分と周りとお客さんと会社が
喜ぶことを考えて、やるだけやる。
やるだけやっていると、
そのときは分からないんだけれど、
未来の自分が得をする。

 

んで、この話は死ぬまで続いていくので、
未来の自分が得をするように、
いまもがんばる。
ということでした~。

 

未来の私へ。えらそうに書いてるけど、
たまにサボってごめんね💗
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
瀬戸川礼子でした。
YouTube【幸せに働き生きるヒント】はこちらです。
30個のサムネ.jpg

 

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