こんにちは。散歩日和の日曜日でした。
紫陽花のグラデーションにうっとり。
そろそろ梅雨かな。
今日のテーマは、
「誹謗中傷しない自分でいるために」です。
昨日知った痛ましいニュースを受けて…。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2008年5月1日、
私は初めてのSNSをスタートしました。
始めるとき、私は自分に約束しました。
「私が書くSNSには、自分の名前を出す」
もともと仕事の原稿は、すべて署名入りですし
Facebookは名前公表がルールですが
そうじゃないSNSでも公表しようと。顔も出そうと。
匿名にしない理由は、前に書いたように、
書いたことに責任を持つためです。
でも実は、もう一つの理由があったんです。
それは「誹謗中傷しない自分でいるため」。
他者に対する悪口を、自分に書かせないため。
これまでずっと、仕事でもSNSでも、
必要だと考えれば指摘はさせてもらいますが、
「徹底的な悪口」=「誹謗中傷」はしません。
けれど私は、 聖人君子でもありません。
共存している 自覚を持っています。
感じ悪い人には「感じ悪っ」って思うし、
馴れ馴れしくされるのも
しつこく付きまとわれるのも嫌いです。
なんでもかんでも「いいんですよ」と、
そうなろう、と思う気すらありません(笑)
だからもし、
私が匿名の投稿をするようになると
悪口を書く可能性があるんです。
文字を書くのは仕事柄、慣れてるし。
怖っ
例えば、お店に入って
すごく嫌な態度を取られたとしたら
「〇〇 でこんな目に遭った」と、
書く可能性はゼロじゃありません。
そういうことを自分にさせたくないんです。
クレームがあるなら直接、言うとか、
直接、 電話やメールをするとか、
そのほうが正々堂々としていられるから。
そしてまた、
「人には良心がある」と私は考えるので、
卑怯なことをしてしまうと、
何が苦しいって、
「自分で自分が許せない」
これ以上の苦しみってないんじゃないかな。
だから、ひどいことをしたことに向き合えないと
「 自分は悪くない」と思い込むわけだけれど、
心の底では悪かったと分かっているわけで、
本音に背いて生きたって、
誹謗中傷した非は、
自分で認めても認めなくても、
なので、その世界に入らないように、
自分で自分を律する仕組みを作る。
名前を公表するということです。
おとといのブログで、
匿名でやったらどうですかと書きまし た。
そのブログはこちら
それは、あなたは誹謗中傷するような人ではない、
という前提で提案しています。
匿名で発信できるのはSNSの利点なので、
これを非難するつもりは全くありません。
でももし、私のように「匿名、危険」と感じるなら、
自分の思いを、自分の名前で発信する。
ごくごく普通のことですよね。
明るい道を歩きましょう!
ではまた明日
経営ジャーナリストの 瀬戸川デビル礼子 でした。
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