きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

コロナ禍で「部分最適」は「全体最適」になるか?



今日のテーマは、
コロナ禍で「部分最適」は「全体最適」になるか?

ちょっと堅苦しい言葉ですが、
私にも理解できたので、大丈夫です。



例えば、環境で考えてみます。
人間がペットボトルの飲み物を多用すると
一回、一回という部分では最適ですよね。
空になれば捨てればよいから便利です。

けれども、地球規模で考えると、
自然が汚染され、生き物に悪影響が出て、
全体最適とは真逆の状態になります。


ほかの事例でも考えてみます。
例えば、生活用品をつくる大手企業が
原料の企業に強引に値引きさせると、
大手企業は利益分が増えます。

けれど、原料の企業は取り分が減るので
その社員の給料は減り、結局、その家族は
大企業がつくった生活用品を買わなくなり、
市場が停滞していきます。

どちらのケースも、
部分最適全体最適につながっていません。



では、コロナ禍に目を向けてみましょう。
新型コロナウィルスは、世界中に広がり、
国も地域も年齢も性別も地位も財産も
一切関係なく、平等に罹患させています。

そしてまた、どこかの国で感染が落ち着いても、
すべての国で感染が落ち着かない限り、
世界を自由に行き来できません。

これはまさしく、
部分最適ではなく全体最適が必須の構図です。


ということは、これからの世の中は、
誰かだけ、どこかだけがいい思いをするのではなく、
誰でも、どこでも、いい思いができるように
変化していく!
……とは言い切れないのが難しいところです。


苦難に遭遇すると、
人は手をつないで協力することがある一方、
自分を守ることに固執することもあるからです。


だから、コロナの第一波が終息しても、
世界はそれほど変化しないかもしれません。
国と国が嫌がらせをし合う状況はそのままかも…。
お金が一番大事だ、と利己的に考える人が
むしろ増えてしまう可能性もあります。
世界的な貧困問題や環境問題は、
これからも、さほど変わらないかもしれません。


コロナ禍によって、
自分さえよければという
部分最適」が進んでしまうのか、

自分は世の中の一部だととらえて
全体最適」が進むのか、
どちらでしょうか。

混ぜこぜになるとは思いますが、
どちらの勢力が勝るんでしょうか。


私は、そんなわけで楽観視していませんが、
だけど…、と思うんです。
それこそ部分的に見ると変わらなくても、
全体的に見れば、少しずつ少しずつ、
気づかぬうちに全体最適の道へと
進んでいくのではないかと。
この前までお正月だったのに、
もう梅雨になろうとしているみたいに。
やっぱり、自分自身のことも含めて
人間の良心を信じる。


そうならなれば、
何のためのコロナ禍なのか。


ふわっとですが、私はそう思っています。
あなたはどう思われますか?


経営ジャーナリストの瀬戸川礼子でした。