11月15日は美しい三日月でした。
帰宅してFacebookを見ると、
アプリを駆使して、
自分の顔写真の上に、
顔が透けるように
フランス国旗を重ねてアップする人が大勢いました。
言うまでもなく、
フランス・パりでのテロを悼(いた)み、
平和を願う証としてです。
この行為に対し、
Facebookでは気づいた限り、
3つの声が上がっています。
①賛同する声
②やめた方がいいという声
(危険、軽率、双方の立場を鑑みるべき、アプリがまがい物など)
③なぜやるのかを問う声
ほかの国(とりわけ後進国)でもっと多くの人が亡くなったときは、
静観しているのに、先進国のフランスでテロがあるとこんなに悼むのは、
人の命に差をつけるようなものじゃないか、という声
私は③についてちょっと疑問でした。
確かに、どの国の不幸も、
世界の一員として見過ごしてはいけないと思います。
命の価値はすべての国のすべての人が同じであるべきです。
思い出すのは、
実話を映画にした『ホテル・ルワンダ』です。
アフリカのルワンダという
貧しい国で起きた虐殺を世界のメディアは無視し、
残虐な行為に歯止めがかからなくなった様子が描かれ、
胸がえぐられるような思いで観ました。
マスメディアの役割を考える上でも重要な映画でした。
ただ一方、普通、人というのは、
名前しか知らない人よりも、
名前も顔も声も笑顔も性格も
良く知った人の不幸を悲しむものです。
誰だってそうでしょう?
これと同じことで、
フランスでの悲劇を悲しむのは、
フランスが先進国だからではなくて、
より親しみのある国だからだと思います。
実は、フランス軍もアメリカなどと
協力してイスラム圏を攻撃していて、
それによって民間人も亡くなっている
と報じられていますが、
だからといって今回のテロに
哀悼の意を示さないことにはなりません。
そうした感情を考慮せずに、
「フランスのときだけ悼(いた)むのは間違っている」
という発言がシェアされて拡大していくと、
平和を伝えるメッセージも出しづらくなってしまいます。
そして、こういうことがどんどん極端になっていくと、
発言の自由が失われかねない。
私はこれが嫌なのです。
なので、せっかく声を上げるなら、
フランスでのテロはひどいことで悲しい、
そして、同じようにひどく悲しいことが、
○○や○○でも起こっている。
だからそれを思い出してもっと視野を広げよう。
部分だけではなく、地球全体でときには考えてみよう、
…そんな風に伝えたらいいのではないか、と思います。
月に祈りを。