きのうは、聖路加国際病院の日野原重明先生のお話を拝聴しました。
慶応義塾長の清家篤さんも登壇されました。
「外国人居留地研究会 全国大会in東京」の席だったので、
日野原先生は、「生き方」の話ではなく、
わが街・東京都中央区と聖路加国際病院の歴史の話をされました。 http://genki365.net/gnkc07/pub/sheet.php?id=4840
写真は会場の聖路加看護大学です。
お話の本論もさることながら、
とにかく、先生の姿に感服しました。
日野原先生は現在、御年102歳でいらっしゃいます。
檀上までの数段を自分で上がり、
檀上では演台の外に出て、1時間ずっと立って話されました。
最初、マイクの電源が入っていなかったのですが、
300人収容のホールの隅々まで聞こえる地声でした。
パワーポイントのスライドを変えるときは、
操作する人に「はいっ、次!」と、“先生”っぽく言うので、
私たち会場はおかしくて笑いました。
お話は論理的かつ人間味あふれ、とても面白かったです。
人のために生きる人はすごいな…。
その姿を、しっかり目に焼き付けました。
~ ~ ~
1873(明治6)年に、キリシタン禁制が撤廃された後、
函館、横浜、神戸、長崎など、全国に外国人居留地がうまれ、
東京の築地もその一つになりました。
聖路加国際病院は1902年、
アメリカからやってきた医師で
宣教師のトイスラー先生が創立しました。
その前は、佃島に小屋のような診療所があるだけでした。
聖路加国際病院は、
1923年には関東大震災で全壊してしまいます。
しかし、仮病院を経て、2年後には新病院に建て替え、
公衆衛生や医師のインターンなど、
国に先駆けて取り組みを始めました。
第二次世界大戦後は12年間も米軍に占領されますが、
戻った後は必要な建物を増やし、現在の形となりました。
http://www.luke.or.jp/
聖路加病院は、私の父も一か月間、
入院でお世話になったことがあります。
トイスラー先生が書いた同病院の存在意義が記されています。
「キリストの(略)偉大な愛の力を、
誰もがすぐ分かるように計画されてできた、
生きた有体機がこの病院である」
日野原先生の姿と、
トイスラー先生の「生きた有機体」という表現に
しびれて帰ってきました。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。