復活した「女川駅」とその周囲は、
素敵に街デザインされていました。
女川駅
高い防波堤で海が見えなくなった町がある一方、
女川には見える海があります。
駅からまっすぐ続く道の先には青い海が見え、
その道の両脇には、飲食店や物販店が軒を連ねる
おしゃれな「ハマテラス」があります。
軽井沢の星野エリアをちょっと思い出しました。
駅を背にした道の向こうは海
上と同じ場所から旅の仲間と一緒に。
同じ場所から駅を見るとこんな感じ
エリア一帯が平らで動きやすく
そうと聞かなければ
全体が約10mもかさ上げされているとは分かりません。
10mといったら、私の身長の6.4倍です!
実は被災地の旅8年目にして初の女川だったのですが、
毎年行っている南三陸に比べると
進展具合が素晴らしく、本当に驚きました。
どちらも宮城県の女川町と南三陸町。
震災前の人口は、
女川が10,051人、
南三陸が17,431人でした。
震災後は、
女川が6,467人(35.7%減)
南三陸が12,771人(26.7%減)です。
どちらもあり得ない減少数で、胸が痛いのですが
数字だけ見ると、より劣勢なのは女川です。
けれど、街のデザインが進んでいるのは
圧倒的に女川なのです。
こちらは翌日の南三陸の風景です(赤い鉄筋は防災庁舎跡)
雨で見えにくくてすみません。
盛り土の土地と道路。南三陸は凸凹の土地が多く、
未来予想図が見えません。← 地元の人がそう言っています。
200億円かけて防波堤を作っていますが、
人が住むのかどうかも分からないエリアだそうです…。
これまでは南三陸ばかり見ていたので、
今回、女川と比較することができて初めて、
歴然たる違いに驚きました。
では、なぜ女川はこういう町づくりができたのか?
それは「若い人の声を生かしたから」「若い人に任せたから」、
「若い人の力です」。そんな声が聞こえてきます。
自分たちよりも若い人に任せた年配者も立派ですよね。
すっかり楽しい気分で、ハマテラスにて女川丼を堪能(1300円)
こちらはホタテ丼(1000円)
見た目はお菓子、香りはポプリのような石鹸を買いました。
女川駅から海方向を見る
年に1度ですが、今後も被災地に行き続けるつもりです。
今回、ほかの街と比較をする大切さを学んだので、
これからは意識して見ていきます。
女川もどこもそうですが、
行き続けている南三陸はこれからも陰ながら応援したいので
一つの町がどうなっていくのか、見守らせてほしい。
女川駅
小牛田駅~女川駅を結ぶ石巻線。
石巻駅で乗り換えて仙台に出ることもできます(2時間超)
女川の町にたくさん学びをいただきました。
ありがとうございます。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。
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