こんにちは
13~14日は旅に出ていたため、
ブログをお休みしました。
東北新幹線の車窓から
東京駅 東北新幹線ホームの 0キロポイント。
終端駅までの距離をここから測ります。
毎年の恒例、
宮城・南三陸~塩釜に行ってきました。
東京の感染がおさまらない中でしたが、
旅の1週間前から誰にも会わず、
迷惑をかけないようにして行きました。
定宿は南三陸ホテル観洋さんです。
特別室のお風呂。カモメに覗かれるので(笑)
ここには入らず、
大浴場と大露天風呂を楽しみます♨
じゃーん♪
10年前の2011年6月。
東日本大震災から3カ月後に、
ホテル観洋の女将・阿部憲子さんを訪ねました。
ホテル観洋は、志津川湾を見下ろす
頑丈な断崖の上に立っているので、幸い無傷でした。
頑丈な断崖の上に立っているので、幸い無傷でした。
ロビーの売店の商品も一つも床に落ちませんでした。
志津川湾をUの字に見立てると、
ホテルは右上(高台)にあり、
町はUの底に当たります。
町は文字通り壊滅し、多くの方が亡くなり、
私が訪ねた3カ月後でも、
まだ町にはガレキが散乱し、
布団や車が泥まみれになったままでした。
私はただ、手を合わせることしかできませんでした。
無償だったホテルも、まだ水が出ません。
避難場所として600人を受け入れていますから、
水がないのがどれほど辛いことか…。
でも、憲子さんは明るくて、強くて、未来を見ている。
私はそこに驚きました。
東京の女将サミットでも何度もお会いしているのですが、
憲子さんは人の陰にそっと立っているような人で、
取材を頼んでも「私なんて」と毎回、断われるほどだったんです。
それがこの人は、1000年に1度と言われる
未曾有の大震災の中で、
もう大変よ~と、笑っている。
すごすぎる。
誰も経験したことのない被災を
憲子さんはどう乗り越えて行かれるのか、
ホテルはどう成長していくのか、
町はどう変わっていくのか、
私はどう見つめていくのか。
これは1回行ったくらいでは分からない。
毎年、通わせてもらおう。
最低でも10年は毎年通いたい。
そう決めました。
そして今回、10年目を迎えたのです。
女将さんも、ホテル観洋も、
着々と進まれているのを毎回感じ、
着々と進まれているのを毎回感じ、
頭が下がります。
女将さん(右から2人目)と一緒に。
旅の服はカラフルに♪ 私は左端。
ホテル観洋さんのお見送り。ありがとうございます!
10年経ちましたが、また来年も行きま~す♪
追伸:2023年ホテル観洋の女将・阿部憲子さんと対談しました!
~ ~ ~
ただ、ホテル観洋さんは進化されてるけれど、
はっきり言って南三陸の町と行政は、
10年経ってもこれだけなの?という感じ。
復興の大金はどこに流れているのかしら。
女川も同じくらい被災しましたが、
もっともっと復興しています。
復興の質もスピードも違いすぎます。
女川は、未来を生きる若い人が意見を出し、
のびのびと動けるよう、
ベテラン勢が計らってくれているのです。
それがベテランの役目だと。
リーダーの在り方も、考えさせられます。
今回の旅は、別ブログでアップしていきます!
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
瀬戸川礼子でした。
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