きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

②日本を元気するセミナー ホンダカーズ中央神奈川・相澤会長の話


こんにちは。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。


ホンダカーズ中央神奈川
相澤賢二会長がされたお話をご紹介します。

相澤会長には以前、
インタビューさせていただきました。

その内容は、2005年発刊の
拙著『顧客満足を生み出す仕組み』
に掲載しています。

当時、ホンダのCS調査で、
全国1位を8年連続で獲得されて いらっしゃいましたが、
記録は伸びて、現在では12年連続です。
(途中、社名変更さ、以前はホンダクリオ新神奈川)


相澤会長は、インタビューでもおっしゃっていたし、
自身の著書 『サービスの底力』にも書かれていますが、
家族の温かさを知らずに育った方で、
だからこそ、長年夢見ていた
温かい家庭を会社規模で築いていらっしゃいます。


さて、セミナーは、
同社の指針である「30S」について、
具体例を用いながら紹介する笑いと涙の1時間半でした。


30Sとは、
「整理」、「整頓」、「清掃」、「清潔」、「躾」
の5Sに加えて、

「先輩がマニュアル」、「清楚」、

「失敗は会社の財産」、 「社内留学」、

「趣味の推薦」、「細部徹底」、

「先生はお客さま」など、

「S」が頭文字の言葉が30個集まった経営指針です。

 


たとえば、
「その時、その場で、そのことだけ」という項目は、
後々まで尾を引かないということです。

 

同社は、一度会社を辞めていった人が
21人も帰ってきているのです。


で、大笑いしたスライドは、
その21人の顔写真とその下に、
辞めてから戻ってくるまでの期間が書かれていたこと。


現社長は6カ月間、
その隣の方はたった10日間です。

「これが最短記録だったんですけど、
 実はもっとすごいのが出まして、
 4日間なんてのもいるんです」と、相澤会長。


目を下にずらすと、
あら、ホントにいらっしゃいました。
4日間の方が。


「だったら、有給使ってくれよ。
 手続きが面倒でしょうがないよ」

もう会場は大爆笑です。


でも思いませんか。
本当に家族のようだなと。

なぜ戻ってくるかというと、
出たからこそ良さが分かったからだそうです。

仕事にまじめな会社だった、
真剣に叱ってくれた先輩がいた、
仲間がいた、
自分の存在価値があったなど、

改めて気づくのだそうです。


出ていく前はほとんど売れなかったのに、
戻ってきたら
めきめきと頭角を現した人もいるそうです。

相澤会長は最後に、
30Sのトリに掲げてある
「誠心誠意」について 語ってくださいました。

創業当初から同社を支えてくれたという
佐々木専務のお話です。

地元の主婦から専務になられた方で、
「佐々木専務がこの会社をつくって くれた」
と相澤会長はおっしゃいます。

母性の塊のような方だったようです。

運命とはせつないもので、
あろうことか白血病になられてしまうのですが、
医師とのやりとりがすごいのです。

「今すぐ入院してください」

「会社の責任(引き継ぎ)があるから3日は帰れません」

「あなた、命と仕事とどっちが大事なんだ!」


すると佐々木専務は、
普通の、やさしい声でおっしゃったそうです。


「先生、人間は誰でも必ず一度は死ぬんですよ」

相澤会長はこの話を聞いたとき、
がたがた震えたそうです。

自分だったらすぐに入ったのにと。


後で聞いたところによると、
このとき佐々木専務は
冷蔵庫も開けられないほどだったそうです。

 

その状態で、
自分が選びたいほうを選択されたのですね。

 

佐々木専務が遺した誠心誠意は、
いまもホンダカーズ中央神奈川に
息づいているのでしょう。

この話はぜひ相澤会長の本でご覧ください。


昨日ご紹介した越智会長もそう、
今日ご紹介した相澤会長もそうでしたが、
「死生観」をお持ちの経営者は少なくありません。


いつかは逝く。

そこから逆算して

今をどう生きるかを考えるということです。


これは暗い話でも何でもなくて、

むしろ、さばさばした

明るさを生み出すものだと私は思います。


「生かされている」、

「生きててくれている」

これだけで、本当にありがたいこと。

 

だからいつも感謝して、

辛くてもできるだけ楽しんでやっていこうよ、

そんな考えにもつながると思うんです。

 

 サービスの底力!―「顧客満足度日本一」ホンダクリオ新神奈川が実践していること
PHP研究所
相澤 賢二

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経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。