こんにちは。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。
1月13日に突然、飛び込んできたスマップの解散騒動。
私はファンではないけれど、好意は持っているので、
ニュースに驚き、残念に感じ、解散しないでほしいと
最初は思いました。
世間でも連日、ニュースで取り上げられて、おおごとになっています。
そうか、これが「国民的グループ」ということなんだなと、理解しました。
そして18日(月)、彼らの番組「SMAP×SMAP」で5人揃っての謝罪。
翌朝のニュースでこれを観たとき、2つの疑問が湧きました。
下記は、4人が独立をしたがっていた、という前提の話ですが、
一つは、モチベーションを取り戻せるのか?ということです。
いまのところ、解散という“物理的な分離”は
どうやら回避しそうだけれども、
“精神的な分離”は修復できるんだろうか。
たとえば人が、会社を辞めて独立するんだと決意したとして、
そのとき、心の中には真新しい道が敷かれているはずです。
人によって明確だったり、ぼんやりだったりするけれど、
イメージの中では、その道をすでに歩いている。
ここからUターンして、見慣れた元の道に戻れるのかな。
物理的には戻れるけれど、精神的に戻れるのかなということです。
万が一、気持ちが離れているのに義務で活動し続けるとしたら、
これはもう、精神的ダメージが大きすぎやしまいかと。
もう一つの疑問は、解散はそんなに許されないことなのか? です。
最初は「解散しないでほしい」と思ってしまった私ですが、
冷静に考えてみると、一つのところで25年もやったら、
ほかでやってみたいと思うのは自然なことだし、
下積み時代からお世話になったマネジャーが
事務所から切られそうになったら、
そりゃ心が揺れるのは人として自然でしょう。
国民的存在としての責任をみな言うけれど、
それなら国民を楽しませてくれた恩義で
解散を認めることもできるのでは?
5人揃った会見の、
あのすっきりしない表情は何なんだろう…。
これだけの騒動になって、自分たちはどれだけ愛されていたのかに
改めて気づかされたというようなコメントを言っていて、
それはそうだと共感する一方、
「辞めないで」や「ファンの期待が」と訴えるよりも、
「あなたがどんな道に行こうと私はあなたを応援し続ける」
と言うほうが、
愛なんじゃないかな…と、思ったりしています。
「あなたたちのことが好きだから続けて」という
一見、優しい言葉が、
”真綿で首を絞める”かのように、
彼らの自由を奪い、
囲いに閉じ込めることがなければいいなとも思います。
育てた社員が辞めていくのは一般社会では日常茶飯事です。
野球にもFAがあるし、
道を選ぶ自由を人間は持っているはず。
良心的な会社は、がんばれと送り出してあげています。
喧嘩もダメ、解散もダメ、独立もダメ…。
国民的グループはたいへんだなあ…。
SMAP『トライアングル』 http://j-lyric.net/artist/a002907/l008d1a.html
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