こんにちは。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。
事件から5日。
安倍元総理のご訃報……、
一人の人間が突然、銃に倒れた。
一人の人間が突然、銃に倒れた。
政策の賛否は関係なく、実に痛ましいことです。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
さて、ニュースでは、
犯人は旧統一教会に家庭を崩壊されたと感じ、
その恨みを銃に込めたとされています。
犯人は旧統一教会に家庭を崩壊されたと感じ、
その恨みを銃に込めたとされています。
昔から、いわゆる新興宗教によって
人生が悪く変わってしまった話は後を絶ちません。
何を信じるかは各自の自由だし、権利ですが、
それによって心と思考を奪われてしまうのは問題です。
そこで、書くのはちょっと勇気が要りますが、
少しでも役に立てばと思い、
少しでも役に立てばと思い、
私が過去に経験した、
新興宗教の勧誘をすり抜けた話を
ご紹介しようと思います。
新興宗教の勧誘をすり抜けた話を
ご紹介しようと思います。
~ ~ ~
1回目 路上のお兄さん・お姉さんの巻
30年前の昔ですが、
エレクトーン4級の試験を受けるために
吉祥寺に行きました(吉祥寺はいい街です)。
その帰り、大学生くらいかな、
さわやかなお兄さんとお姉さんに声を掛けられ、
アンケートに協力することになりました。
アンケートの目的は忘れてしまいましたが、
年が近いし、笑顔だし、感じがよかったので、
警戒しませんでした。
で、アンケートのバインダーを渡され、
書こうと思ったそのときーー、
書こうと思ったそのときーー、
なぜそうしたのか分かりませんが、
私はふと顔を上げて2人を見たんです。
私はふと顔を上げて2人を見たんです。
すると、私を見下ろしているはずの2人は
両方とも後ろを振り向いていました。
あれ?と、私は不思議に思います。
両方とも後ろを振り向いていました。
あれ?と、私は不思議に思います。
そして、2人の間から私が見たのは
10~20mくらい先からこちらを見ている
お兄さん・お姉さんたちでした。
つまり、離れた場所から
若者たちは目配せしていたんです。
「いいカモ(私のこと)を捕まえたよ」と
言わんばかりに。
私が「あ!」と思ったと同時に、
向こうにいるお兄さんたちも私の視線に気づき、
向こうにいるお兄さんたちも私の視線に気づき、
「あ!」という顔をしました。
「ばれた!」という風に見えました。
私は「冗談じゃないよ」と思って、
慌てて私のほうに振り向いたお姉さんに
バインダーをバン!と押し付けて、
すぐにその場を立ち去りました。
慌てて私のほうに振り向いたお姉さんに
バインダーをバン!と押し付けて、
すぐにその場を立ち去りました。
幸い、アンケートに住所と名前は
まだ書いていませんでした。
まだ書いていませんでした。
そのときは正体は分からなかったけど、
後になって、いろいろ新興宗教の問題が
ニュースに取りざたされるようになり、
「きっと、あれがそうだ」と思いました。
実際にそういう場面になると、
全然、わからないものです。
たまたま、あの瞬間、顔を上げたから
気づくことができましたけれども、
あやしくないんですもん。
さわやかで優しく見えるんです。
でも、それ自体がおかしいんです。
以来、私はそうそう簡単に
見ず知らずのアンケートには協力しません。
相手が感じよくにこにこしていても、
なんだかな…?と思ったら、
なんだかな…?と思ったら、
自分の直感のほうを信じます。
私が自分の直感が正しいと思うのと同じレベルで
相手も自分の活動が正しいと思っているのだから、
やりとりしないで離れるのが一番です。
いまも同じ手法があるそうです。
ぜひ覚えていてくださいね。
~ ~ ~
もう一つ、あるんですよ~。
2回目 話を聞きに行く!の巻
これは20代のころの話です。
親しい人が新興宗教に入ってしまい、
私はその人を救いたいという正義感で
話を聞きに行くことにしました。
私はその人を救いたいという正義感で
話を聞きに行くことにしました。
本部という場所で話を聞いた私が、
まったく心を動かされなかった、と言えば、
その人もやめると約束してくれたからです。
まったく心を動かされなかった、と言えば、
その人もやめると約束してくれたからです。
でも……、
「行く!」と決めた日から
私の心臓はドクドクと鼓動が強くなりました。
今まで味わったことのない、いや~な気持ち。
なんとも落ち着かない、
暗闇から手が出て引っ張られそうになる気持ち。
頭では「助ける!」と思っているけれど、
体は嫌がっているし、
もっというと、本能が「行くな!」と叫んでいる感じ。
でも、中止したくない。
行く日がどんどん迫ってきました。
ところが、本部に行く数日前になって、
あらかじめそれを相談していた人から連絡があり、
「詳しい人に聞いてみたんだけど、
絶対に行っちゃダメだって!」
と、強く説得されました。
どんなに助けたいと思っていても、
相手は勧誘のプロなのだから、
論破できるはずがない。
飛んで火にいる夏の虫だと。
信者が一人増えるだけだと。
そう聞いて、私は行くのをやめました。
助けたいけど、できない……。
「行かない」と決めた瞬間、
心がすっと楽になったのを
はっきり覚えています。
心臓のドクドクもおさまりました。
あのとき、それでも行っていたら……。
考えるのも恐ろしいです。
正義感はこういうときは危険です。
できない、と認めるのはつらいですが、
宗教に入った人が、いつか気づいてくれるのを
信じて待つことはできます。
実際、その人は時間はかかりましたが
自らの意思でそこを出ました。
とても立派だったと思います。
無防備に助けに行かないことも大事です。
~ ~ ~
さらに、もひとつ、あるんです。
3回目 高校時代の友達から電話の巻
社会人になってだいぶ経ったころ、
高校時代の友だちから会おうよと電話がありました。
高校時代の友だちから会おうよと電話がありました。
特に仲が良かったわけではないし、
何年も会っていないのに、なぜ?
何年も会っていないのに、なぜ?
でもせっかく連絡をくれたので、
銀座三越のカフェで会う約束をしました。
銀座三越のカフェで会う約束をしました。
カフェに入ると、
友だちの隣に知らない中年女性がいます。
自己紹介もありません。
友だちの隣に知らない中年女性がいます。
自己紹介もありません。
私は「あやしい」と思い始めます。
椅子に座ったとき、それは確信になりました。
テーブルを挟んで座るのが普通でしょう?
それなのに二人は、
私を真ん中に挟んで、左右に座るんです。
私を真ん中に挟んで、左右に座るんです。
逃げられな~い(笑)
でも大丈夫。
1回目と2回目で免疫が出来ていた私は、
友だちがどんなに恐怖をたきつけても、
どんなに哀れみを感じさせようとしても、
まったく心に響きません。
むしろ、一生懸命に勧誘をしている彼女が
気の毒になってしまい、
「ねえ、大丈夫?」と言いました。
この人に話しても無駄だと観念したのか、
彼女は寂し気+怒りの表情をしてだんまり。
中年女性も何も言えなくなり、
帰るね、と私はカフェを後にしました。
あとで、同じクラスだった別の友だちに
「気を付けて」の電話をかけると、
地元の別の友だちのところにも
すでに何人も勧誘が来ているそうで、
都内に暮らすれれ(私のこと)のところまで
連絡がいくとは思わなかったとのことでした。
ということで、
昔の友だちからの、久しぶりの電話にもご注意を。
用件がはっきりしているならまだしも、
あいまいならば勧誘かもしれないので
ちょっとこの話を思い出してほしいです。
いつかその人が脱会して、
また普通に会えるようになったら、
そのとき友だちに戻ればいいのです。
それが本当のサポートなのかもしれません。
~ ~ ~
中高校・大学・会社・社会・スモールコミュニティ、
いろいろなところに勧誘の脅威があります。
何を信じるかは人それぞれの自由であり、権利です。
でも、人の心を操作するのはよくありません。
少しでも心がざわっとしたら、それが合図です。
「用事を思い出した」ことにして立ち去りましょう。
勧誘する側は脅かすかもしれませんが、
本当の神さまなら、
その場を立ち去ったからといって
災いをおこすようなことは決してしないでしょう(^^)/
~ ~ ~
それにしても、
1回目のふと顔を上げたときといい、
2回目の行くなという連絡といい、
3回目はもう免疫があったし、
何かに守られているとしか思えません。
感謝感謝·*:☆..。o♬*゚·*:☆..。o♬*゚·*:☆.
全ての人がなにかに守られていると思います。
あれ?という直感が守られている証拠だと感じます。
入らないとひどいことが起こるとか、
入れば救われるとか、
神さまがそんな交換条件を持ち出すでしょうか?
そんなはずはありません。
少しでもこの話がお役に立てば幸いです。
自分の意思で自分の人生を生きましょう。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。