きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

美瑛でワーケション④ ~熊倉聖子さんの美瑛 愛~


こんにちは。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。
「美瑛コワーケーションビレッジ202209」をつづる4回目です。
1回目 美瑛に行ってきました
2回目 滞在先について
3回目 丘めぐり
このプログラムは、
NPO法人 場とつながりラボhome’s viと美瑛町のコラボ企画ですが、

原点には熊倉聖子さんの美瑛を愛する思いがありました。


生きたトンボのブローチ。
聖子さんは、美瑛町・地域プロジェクトマネージャー


ホームズビーのメンバーである聖子さんは、
京都で3人のお子さんを育てながら活動されていましたが、
美瑛が好きすぎてこの春、移住されました。

聖子さんの美瑛愛に共感したホームズビーのみなさん
(賢州さん、幸子さん、みかさん、さよぽん、たえちゃん)
角和町長のご理解、土井さん、さとかなちゃんほか
たくさんの美瑛町役場のみなさん、
現地で関わってくれたたくさんの方々のお陰で、
それはもう素晴らしい滞在をさせていただくことができたんです。
 
プログラムの出発点に、一人の「愛」があった。

それがこうして形となり、
始終、全体を包みこんでいた。
そのことに私は深く感じ入りました。
観光名所になっているケンとメリーの木。
聖子さんのおじいさんが植樹されました。
来年2023年で植樹100年です!なんか感動。

 

 
ケンとメリーの木の根元にある看板。
聖子さんの旧姓は大久保さんです。

 
聖子さんにとって美瑛は、
子どものころから特別な土地でした。
移住後の、聖子さんのFBです(了解いただきました)
 
「ようやくようやく美瑛でのくらしがはじまりました。
美瑛のおばあちゃんが大好きで、
おばあちゃんがいる美瑛が大好きで、
うれしいときも、かなしいときも、つらいときも、
ここに戻ってさえくれば、
いつも変わらぬ広大な青空と丘と白樺と山々が迎えてくれて、
いつかいつの日か、ここにずっと住めたらいいのにと思い続けて、
おばあちゃんがこの世を去ってからも、その想いは変わらず、
ずっとずっと願い続けていたら、
ある時ふわっと風が吹かさって、
この春、雪どけの美瑛に、
やっとやっと辿り着くことができました」 
 
そして、描かれる美瑛の美しさよ。
 
「真っ白な山々に春の陽射しが煌めき
澄んだ青空に白鳥の群れが羽ばたき
雪解けの大地には青々とした麦が広がり
長く眠っていた土の中からは
春の訪れを告げる
蕗の薹と福寿草」 
 
同じ日のFBに書かれた、お子さんへの思いにも胸をうたれます。
「いつか子どもたちが
うれしいときも、かなしいときも、つらいときも
この地に戻ってさえくれば、
いつでも迎えてくれる青空と丘と山々があって
おばあちゃんのように
なんでも受けとめてくれる人たちがいて
そのままで、ありのままでいいのだと
支え合い励まし合える友や仲間たちに出会い
学び暮らし育ち合えてよかったと思ってくれるよう
この町のこれまでの歩みを深く学び、
今これからの未来をたくさんの方達と語り合い、
その真の美しさを守り継げるようになっていきたいと
心から思います」
 
白金原生林フォレストウォークにて

聖子さんの車でいろいろなところに
連れて行っていただきました!感謝。

 
聖子さんは移住した2022年4月から、
美瑛町の地域プロジェクトマネージャー職に就かれました。

まだ半年の現時点で
すでに多くの町の人に知られていて、信頼されている。
 
そのことを、美瑛コワーキングに
参加された誰もが感じたと思うのです。
 
個人旅行だったら出会えなかったであろう
役場や町民の方、飲食店の方、図書館司書さん、農家さん、
さまざまななご縁をいただきました。
 
「大好き!」という気持ち。

この純粋なエネルギーが
どれほどパワフルで、
どれほどきれいで、
どれほど人を共振させるものか、
 
聖子さんはあるがままの姿で伝えてくれました。
 
ありがとう、聖子さん。
 
足元にも及ばないけれど、
私も美瑛が大好きになったよ!
 
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旅人で経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。