きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

松陰神社・松下村塾・至誠館で想ふ


先日の出張で、山口県萩市の松陰神社に立ち寄りました。
http://www.shoin-jinja.jp/
神社、松下村塾、宝物殿などが同じ敷地内に建っていて、
たいへん心に残る場所でした。

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写真は「学は、人たる所以(ゆえん)を学ぶなり」として始まった
「松下村塾」の模築です。
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都から遠い遠い萩で
こんなに小さな場所で
吉田松陰はまだ30歳手前の若さで、
ここで講義をしたのはたったの1年1カ月なのに、
初代総理大臣・伊藤博文、高杉晋作、山県有朋ら、
歴史に名を残すリーダーが育ち、
124年経ったいまでも人々に尊敬され続け、
感動を与え続けている。
感服の至りでした。


上の有名な松陰像は、本人が依頼して描いてもらったもので、
とても気に入っていたそうです。
60歳くらいに見えるけれど、このとき、まだ28歳くらいなんですよね。


下記は、松下村塾の向かいに建つ宝物殿「至誠館」で胸に迫った言葉。
松陰先生が30歳で殉難(国家など公共の利益のために一身を犠牲にすること)
する前日、江戸・小伝馬町の牢獄で、
松下村塾の塾生らに宛てた遺書『留魂録』の一説です。


「死を覚悟して不安のないことに、
四季のめぐりについて思うところがある。
秋の収穫によって一年が終わることに
誰も哀しむものはいない。

自分は三十歳であり、
ことが成就することなく死することは
稲が実らないことに似て
いかにも惜しむべきことに見えるが、
実は自分としては四季が備わっており
実っているのである。

ただ、それが実のない『もみ』なのか
よく実った『もみ』なのかは
自分の知るところではない(以下略)」
(『留魂録』の第八節より)


私の「もみ」はまだ「もみ」とも言えない状態だな…
と思った経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。