きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

私のいない世界を想像したみた


広島と長崎の原爆記念日。そして終戦の日。
8月は死について思いが巡る月です。


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5、6年前から、取材先で、ときには普段の会話で、
死生観についての話題が増えているなと感じています。


哲学者の中村天風さんは、
死を考えるな。いま生きることに集中しろ、と説きました。
ごもっともな話で、私は天風さんの考えも好きです。


一方で、私はこうも思います。
「死」を考えることは、転じて 「生」を考えることになる、と。
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取材先やご縁があってお会いした方々の多くが、
愛する方の死の話をされます。

誰にでも話すことではないと思うので、
デリケートな話をそっと抱きながら聴くような感覚です。


愛する人の死を経験して、人生の使命を見出した方、
友の死を受け止めて、残りの人生をより大切に思った方、
重い病気になって死を意識し、それからの生き方を見直された方、
こうした流れを天命と感じる、と言う方も少なくありません。


悲しみに明け暮れるいくつもの日々をこえて、
何日こえてもやっぱり辛いけれど、
それでもなんとか歩いて行こうとする姿には、
どこか崇高で尊いものを感じます。

 

夕空に表れた鳳
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変な話、生きていても、自分の小さな死を見ることがあります。

前は10の傲慢さがあったとしたら、
7くらい死んでよかった気がするし、
前は10の無邪気さがあったとしたら、
5くらい死んじゃったな…と感じることもある。


三浦綾子さんの本の中に、
(この方は13年間も病に伏せっていた経験があるので)
「自分のいない世界を想像した」という一節がありました。


それまで私は自分のいない世界を想像したことがなかったけれど、
想像してみたら……、
意外と簡単にできてしまって、
いままで感じたことのない不思議な気分になりました。


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いま座っているこの椅子は、私が最後に立った向きのまま。

キッチンにもソファにもベランダにも、私はいない。

人の気配のない、ときが止まったような部屋。

冷蔵庫がときどき、ジー…と小さな音を鳴らすだけ。


街の外に出てみても、私はどこにもいない。

電話に、私が出ることはない。

受信したメールに、私が返信することはない。

待ち合わせ場所に、私が現れることはない。

私と誰かが微笑み合い、会話を交わすことはもうない。

このブログにも、Facebookにも、私の投稿は二度とない。


まなざし、声、息づかい、顔も手も足も、影も、

この世界から消えてしまった。


人が私のことを話すとき、すべて過去形になる。

私から生み出されるはずの言葉は行き場を失った。


そんな想像の世界をぼんやりとさまよっていたら、

ぎゅーっと、さみしくなって、


そして、

そうか、いまこの瞬間、

世界の一員として存在していられるのは

素晴らしい奇跡なんだ、って

とてもとても、生を愛おしく感じたのでした。


体がなくなっても、魂は存在し続けると私は思うけれど、

この一生はいましかない。

だから、いま会える人を大切に、いまできることを大切にしよう、と。



経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。
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「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと - 瀬戸川 礼子