きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

なんとかなるよ 吃音だった私

 

吃音(きつおん)ってご存じですか。

子どものころ、私は吃音でした。

昔は、どもりって言いました。

 

ごまかせるくらいの軽度だったので、

友達は誰も覚えていないと思います。

物心ついたときから時々なって、

確か小6くらいで消えました。

 

吃音というと、「ど、ど、ど」など、

音が重なって出てくるイメージが強いですが、

何も音が出せなくなる無音状態もあって、

私はたいていこちらでした。

症状は、まったく出ない日もあれば、

何度も出る日もありました。

 

 

あの何ともいえない感覚、、、、、、

頭の中に言葉があるのに、

それを音にできない、息しか出せない、

自分にしか分からない感覚を、

まだ覚えていますが、

もう症状は出ません。

試しにやろうと思ってもできないほどです。

 

 

いま、多くの方々を前に講演する自分を、

不思議に思うことがあります。

 

子どものころの自分に会って、

「治ってるよ」と教えてあげられたら、

安心するだろうな、なんて考えます。

 

 

吃音の有名人は思いのほかたくさんいらっしゃって、

フリーアナウンサーの小倉智昭さんも

カミングアウトされているようです。

 

なんてったってアナウンサーですから、

人知れず努力されたのでしょう。

 

ネットで検索するとニュートン、モーゼ、

マリリン・モンロー、徳川家光etcと、

そうそうたるVIPの名前が挙がります。

本当?という気もしますが、

彼らはどう切り抜けていたのでしょう。

 

 

私がちょっと困ったのは国語の時間でした。

先生に当てられて、立って教科書を音読するときです。

いまも昔も、音読は好きですが、

あのころは、調子がよければすらすら読めたけれど、

調子が悪いと、最初のひとことがもう出ない。これには参った。

 

特に、か行。

「か、き、く、け、こ」。

これ意外と力がいるんですよ。音を出すのに。

「し」 という音も、

ふわふわし過ぎていて音を出し難かったなあ。

 

 

いつも静かな子だったら、

先生も周りも、緊張しているんだなと考慮して

座っていいよ、となるんですけど
(本人はそれでも大変でしょうが)

 

私はサッカーボールみたいに跳ね回っている子。

そういう子が突然、黙り込んでしまうわけで、

誰も理解ができません。

 

何が起こったのか、

礼子ちゃんはふざけているのか、となるわけです。

 

驚き、非難、失笑、無視、怒り、同情…。

いろいろな反応で教室がざわざわします。

 

普段はぺらぺら喋っているわけだし、

言葉が出ないなんて信じてもらえない。

 

では、どうやって切り抜けていたかというと、

音が出せる言葉を文中に必死に捜して、

間違えたふりをして途中から読む。

当然、みんなから指摘されるんですけど、

笑ってごまかしちゃう。

最初の一音さえ出れば、

後はリズムに乗って、結構上手に読めるんです。

 

 

友達とのお喋り中に

言葉が出せなくなったときは、こう切り抜けました。

 

たとえば 「ブランコに乗ろう」

と言いたいのに 「ブ」の音が出せない。

そんなときは、

「なんだっけ、あの、揺れてるやつ」と言えばオッケー。

 

「赤い色」の「あ」が出せなくなったら、

「りんごの色」と言えばいい。

 

必然的に、切り抜け方というか開き直り方を習得しました。

 

 

もしも思い詰めていたら不登校になっていたかもしれませんが、

あえて深刻に考えませんでした。

一番の理由は、深刻に考えるのが怖かったからです。

でもその一方、考えても仕方ないことがあるって気付いていました。

 

なので、気にしないふりをして明るく振舞いました。

親がシリアスにならなかった
(なったかもしれないけれどそういう姿は見せなかった)

のも 、ありがたかった。

 

 

突然、つらつらと子ども時代の思い出を書き始めましたが、

何かいいたいのかと言うと、

ときには、思い詰めないことも大切だよね、と。

 

 

反省や自問自答はもちろん大事です。間違いなく。

けれども、度を越えて悩み過ぎると、

視野が狭く狭く、心が内に内に入ってしまって、

「まずい」と思ったときよりも何倍もまずい思考回路に

自分で自分を追い込んでしまうことがあると思うんです。

 

 

そんなとき、あの頃の自分を思い出します。

不安で仕方なくて、どん底にいるのだけれど、

そういう自分を無視して、

明るく、気にしていないふりをしていた子ども時代を。

 

 

別に勇気があったわけでも強かったわけでもありません。

ただ、それをするしかなかっただけですが、

大人になって、あれは最高の療法だったな、と感じます。

 

自分のことばかり考えていると、

青空も目に入らなくなってしまうから。

 

最近のニュースは、

もしかしたら好転できることや笑い飛ばせることに対しても、

ものすごく近視眼的になって思い詰めてしまっている、

そんな印象を受けます。

それも私なりに分かりますけどね…。

 

でも、思い詰めないほうがいいことって、あると思います。

心の底から反省したり、気付きが得られたのなら、

それだけでもうけモンだと明るく考える方法もあります。

それは、あきらめでもないし、なげやりでもないです。

なぜなら、希望を持ち続けているから。

 

いまを受け入れて、

希望を持って、明るくひたむきにやっていれば、

報われる日が来ると思うんです。

 

小さい礼子ちゃんも思ってました。

「なんとかなるよ」って。

 

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。