経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。
兄弟が親子で書かれていたりもします。
ある日、年の離れた兄弟が、
二人で一頭のロバを引いて歩いていました。
すると、通りがかりの人が言いました。
「ロバの背が空いているのに乗らないのか?」
そこで、兄がロバに乗り、
弟がロバを引くことにしました。
しばらく進むと、
また別の人が通りかかり、兄に向って言いました。
「君は年下の者に対する思いやりがないのか。
自分だけ楽をして恥ずかしくないのかね」
兄は急いでロバから降り、
弟を乗せてロバを引くことにしました。
またしばらく行くと、
通りがかりの人が弟に言いました。
「なんて礼儀知らずなんだ。
年上の者にロバを引かせて、自分がロバに乗るだなんて」
そこで兄弟は、
二人してロバに乗ることにしました。
しばらく行くと、今度は通行人たちが、
兄弟を見ながら言いました。
「ロバがかわいそうだ。
あれでは動物虐待ではないか」
兄弟はあわててロバから降り、
二人してロバをかついで歩き始めました。
重いロバをかつぐ兄弟はヘトヘトに疲れ、
橋の上で足を滑らせてしまいます。
大切なロバは川に落ち、
流されていってしまいました。
~ ~ ~
この話は何を伝えたかったのか、
なんとなくわかりますよね。
それはきっと、
「自分の考えを持つ大切さ」
ではないでしょうか。
では、どうすればよかったのか?
振り返ってみようと思います。
「ロバの背が空いているのに乗らないのか?」
→ ロバを休ませているのです。
→ 大切なロバですから乗りません。
「君は年下の者に対する思いやりがないのか。
自分だけ楽をして恥ずかしくないのかね」
→ 順番に乗っているのです。
→ 年上を敬うのは当然のことです。
「なんて礼儀知らずなんだ。
年上の者にロバを引かせて、自分がロバに乗るだなんて」
→ 順番に乗っているのです。
→ 弱い者を守るのは当然のことです。
「ロバがかわいそうだ。
あれでは動物虐待ではないか」
→ ロバは私たちにとって移動手段です。
→ 長い間、乗っているわけではありません。
(※2人で乗るのは、さすがに可哀そうとは思う)
言い返せる「考え」があればよかった。
盲目的にやって失敗しても、
「私はこう考えています」
素直に正せばいいのです。
瀬戸川礼子でした。
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