私には10年以上、文通している人がいます。
メールやメッセンジャーが普及した現代ですが、
年に数回、心を込めたお手紙を出し、
陽だまりのような温かなお手紙が届きます。
文通相手は、母と同年代の、大好きな旅館の女将さんです。
取材で知り合い、プライベートでも何度も伺っていて、
ご自宅に遊びに行ったこともあります。
なぜ大好きかというと、
清く正しく美しく人生を生きられていて、
ユーモアもあって素敵なんです。
そして何といっても、優しい。ほんっと優しい。
お手紙が届くと、私はほぼ毎回、泣いてしまいます。
だってあまりに優しいから。
そして自然に「がんばろう」と思えるのです。
最近、その方が何気なく言っていた言葉を
よく思い出します。
「どんなに明るく見える人も、
悩みなどないように見える人も、
心に何か、悲しみを抱えているものなの。
たくさんの方々に会ってきてそう思うのね。
だから、どんな人にも優しくね」。
女将さんほど深く思えているか分かりませんが、
私もそれを取材や普段の会話で感じます。
明るくて太陽みたいな人ほど、
深い悲しみをたたえていたり。
また、すでに悲しみを乗り越えた方であっても、
振り返れば、悲しみは悲しみとして、
その場所に静かに佇んでいるのです。
それは消えないのです。
私もそうだし、そういうものだと思います。
悲しみを持たない人を探すほうが、きっと難しい。
だからこそ、
「みんな頑張ってるから乗り越えなさい」じゃなくて、
「みんな頑張ってるから乗り越えなさい」じゃなくて、
「そうだよね、わかるよ」と
思えたり言えたりする側でいたいですよね。
幸せそうに見えるから悲しみがないわけじゃなく、
活躍しているから悲しみがないわけじゃなく、
黙っているから悲しみがないわけじゃない。
私の考えでは、みんな、どこか悲しい。
見せないだけで、どこか悲しい。
それなのに
みんな、えらい。
みんな、がんばってる。
自分は別にがんばってないと思っている人も、
その人のがんばってない範囲でがんばってる。
ということを認め合って、
女将さんの手紙のようにひたすら優しく、
あなたのここが素晴らしいと思うと
伝えて合えたほうが、幸せだと思います。
それぞれがそれぞれの人に
優しく接していけたらいいですよね。
暗い人にも明るい人にも、
他人のことも自分のことも、
どんな人にも、優しくね。
もし優しくなれなくても、
そういう自分を責めずに、自分に優しくね。
ではまたね。
今日の夕映え、赤い海原が空を覆ったかのようでした。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
瀬戸川礼子でした。
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