「 葡萄に種があるように
私の胸に悲しみがある
青い葡萄が酒に成るように
私の胸の悲しみよ 喜びになれ 」
高見 順 (明治40年~昭和40)
インタビュー先のある方が教えてくれた詩です。
この詩をしばらく心に置いて、私は思いました。
悲しみそのものが、喜びになることは、きっと、ない。
でも、悲しみの中から、感謝が生まれることはある。
その感謝が、気づかなかった喜びに気付かせてくれることがある。
だから――、
あなたの胸の悲しみよ 喜びになれ。
みんなの胸の悲しみよ
私の胸の悲しみよ
喜びになれ。
瀬戸川礼子でした。
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