ときどき利用している地元のクリーニング店に
異変が起きています。
2~3年前から利用していなかった店でしたが、
最近行ったら、まったく違う雰囲気になっていました。
以前は、冷たい感じの店でした。
4人くらいの女性がいて、ずっと同じ顔ぶれ。
雇用の安定が図られているのはいいんですけれども、
誰もかれも笑顔がなく、なんか怖い感じ。
特殊クリーニングができる店はそこしかなかったので
仕方なく利用していたものの、
数年前から雨後の筍のように
クリーニング店が増え、
その店を利用することはなくなりました。
ところが年末、一番遅くまで開いているその店に
久し振りに入ったーー
、、、ら!
「こんばんはー! いらっしゃいませ」 (←(*^_^*)うれしそう)
のっけから、まるで雰囲気が違っていたのです。
「スーツのシミを取りたいのですが、ちょっと急いでいまして、
できるだけ早く仕上げていただけると助かるんですけど、、、」
以前だったら、ムスッとされていたと思うのですが、
「ああ、このシミですねー、(優しい口調)、お急ぎですねー」
と言って時計を見て、閉まっているはずの工場に、
「もしかすると誰かいるかもしれません」と、電話してくれました。
結局、いなかったので、
特急クリーニングは難しかったんですけど、
その思いやりがうれしいじゃないですか♪
「同じ店、同じ人。ずいぶん変わるなあ」
と、ほのぼのして店を出ました。
そして今日、再び、同じクリーニング店へ。
今回は前回と別の人(前からいる人)が担当してくれたのですが、
やっぱりこの人も、とっても感じが良くなっていました。
お店に入った瞬間、ほわっとするような雰囲気。
またしても、ニコッと優しく迎えられたのです。
出していたスカートのシミは完璧には取れなかったのですが、
詳しく丁寧な説明を受けたので、「全然OKよ♪」という気分。
ホント、感じいいなあ。
ところで、
人間同士のコミュニケーションである以上、
お客さんの態度が店側の態度を作りだす
という事実は確実にあります。
なので、顧客である私の態度が
以前より丸くなった(?)
という説も考えられますが、
であるとしても、
店員さんの態度はあまりに変わりました。
それで、誰もいなかったので
思い切って尋ねてみました。
「あのー、ちょっといいですか。
変なこと聞いて申し訳ないです。
このお店、何年も前から利用しているんですけど、
数年前と比べて、雰囲気がとっても
良くなったなーって驚いてるんです。
みなさん優しいし、
ものすごくいい感じだなって。
何か、その、話し合いとか、
接客トレーニングとかされたんですか?」
カウンターのMさんは、
嫌な顔一つせず、耳を傾けてくれ、
「あ、そうですか?
それはありがとうございます」
とにっこり。
それから10分くらい
質問攻めに合わせてしまったのですが(職業病)、
つまりこういうことでした。
↓
<当時の状況>
数年前までは、順番待ちが当たり前なほど店が忙しく、
お客さまをできるだけお待たせしないためには、
次々来た人を「さばく」感じでやるしかなかった。
「待たせないこと」「スピード」を一番大事に思っていた。
仕事がいつも山のようにあり、心にも余裕がなかった。
<転機①>
ところが、次々と周りにライバル店が出来て、
不況とも重なり、本当に暇になった。
いまは前と全然違う。
今みたいに、次のお客さまがしばらく来ないことも珍しくない。
これではいけないと考えた。
うちを選んでもらうためにはやはり接客が大事。
お客さまとの触れ合いを重視しようと思った。
<転機②>
ちょうどそのころ、
私(Mさん)が昇進し、ものを言える立場になった。
そこで、自分も接客に気をつけながら、
一緒に働く人たちにもその都度、
お客さまへの接し方をアドバイスすることにした。
「いまの話し方はこうしたほうがいいよ」
「こうすればもっと喜ばれるよ」。
<現在の状況>
感じがよくなっているかどうかは
自分たちでは分からないので、
そう言ってもらってうれしい。
いまは、売上は下がっているし、
本部から売上をもっと上げろといつも言われて大変だが、
精神的には前より今のほうがいい。
カリカリしながら仕事に追われていたころよりも、
お客さまと会話しながら仕事ができるほうがずっと楽しい。
という話を聞かせてくれました。
「『感じがよくて、またぜひ利用したくなる』と、
お客さんに褒められたと、ぜひ本部に伝えてくださいね」
そうエールをおくって店を出ました。
きっと「暇」は経営の神様からのプレゼント。
もともと技術もあるし、立地もいいお店です。
もっといまの感じの良さ、優しさをもっともっと高めていけば、
地域の“断トツ一番店”になることだって可能だと思います。
不況の功罪。
どちらの割合をどう高めるかは、人次第ですね。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。