きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

知覧特攻平和会館で思ったこと ~轟沈をさせたのは同じ人間~

 

2020.3.3

鹿児島出張では「知覧特攻平和記念会館」にも行きました。

http://www.chiran-tokkou.jp/



これまで、

・広島の原爆ドーム

・長崎の平和公園

・沖縄のひめゆり平和祈念資料館

・長野の無言館

に行ってきて、

知覧にも行かなきゃと思っていました。

「行きたい」というよりも「行かなきゃ」と。

こうした場所でいつも思うのは、

「『国のために』と亡くなった方々が

今の日本をみたらどう思うだろう」

ということと、

「私は自分の人生をまっとうしよう」

ということです。

それは知覧でも同じく感じたのですが、

今回はいままであまり感じなかった

「怒り」を覚えました。

空に散った若者たちの数えきれない写真と

遺書が陳列されている中に、

「轟沈」(ごうちん。砲撃・爆撃・雷撃などにより

艦船を一分間以内に沈めること)

という文字がいくつも見られました。

彼らの内心は分かりませんが、

名誉ある任務という意味で書かれています。

(そうした資料は撮影禁止でした)

昭和20年5月、沖縄戦の作戦中、

エンジントラブルで不時着水した機体。

昭和55年に35年ぶりに引き上げられました。


片道だけの燃料と爆弾を搭載した一人乗りの戦闘機に乗って、

敵の戦艦に突っ込む。

どんな気持ちだったんだろう…。

心も家族も恋人も夢も何十年分もの命を持つ人間が、

兵器というモノの代わりをやる。

純粋な若者の気持ちを轟沈に使わせるなんて、

どうしたらこんなことをさせられる?

そもそも、

どうしたら轟沈などという手段を思いつける? 

何に命を使うのか。

使命を決めるのは国や他人ではなく、

本人の魂以外にないはずなのに、

轟沈を「立派だ」と考えてしまう時代

(考えなければならない時代)が確かにあって、

そのころの人たちといまの私たちには、

これといった違いがないことを分かっていないといけない、

そう思いました。

特攻の方々に敬意を表しつつも、

あのような時代に戻ってしまう可能性はいまの時代にもあり、

あれを美談にしてはいけない、と。

長いものに巻かれるという言葉があるけれど、

長いものは賢くしたたかに巻き付こうとしてくる。

手足をしばられる前に、払いのけなければ。


帰りに見上げた空。

一つ一つが散った命に見えました。


こういう怒りは持っていたい、

ジャーナリストの瀬戸川礼子でした。

「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと - 瀬戸川礼子
「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと - 瀬戸川礼子

====