2018.7.29
「南三陸ホテル観洋」に泊まったら、
毎朝出ている
「~震災を風化させないための~ 語り部バス」に
乗らずして帰ることはできません。
みなさん、ぜひ乗ってね。
社員旅行でもおすすめ。たくさんの学びがあります。
http://www.mkanyo.jp/%E8%AA%9E%E3%82%8A%E9%83%A8%E3%83%90%E3%82%B9/
震災の翌年から自主企画で始まり
これまで約35万人が乗車されています。
第3回「ジャパン・ツーリズム・アワード」の
大賞を受賞した企画でもあります。
自らも被災者の社員さんがマイクを持ち
1時間かけて小学校や防災庁舎を
巡りながら話を聞かせてくれます。
. 戸倉小学校(現・戸倉公民館)は、
屋上まで波に襲われたにもかかわらず
全員が助かりました。
実は、前日にも大きな地震があり、
このとき若い女性教師が
「本当に屋上の避難でいいんですか?」
と訴えたのです。
校長先生はその声に耳を傾け、
実際に歩いてみて、
万が一のときには
少し離れた裏山への避難を決めます。
この前日の声と判断によって、
命は守られたのです。
時計はあの日、止まったまま。あえて残しています
戸倉小学校は急斜面を上った高台にあって、
ここまで波が来るなんて考えられない場所にあるんです。
私だったら屋上のままにしていたかも…。
ホテル観洋の小野寺さんは語り部バスの車中、
戸倉小学校の教訓として、
①対話の場を持つこと
②その対話の場を継続して持つこと
③地域を知ること の3点を挙げられました。対話って大事ですね。
赤い鉄骨だけが残った「防災庁舎」は、
盛り土と盛り土に挟まれ、小さく遠くなりました。
さみしい気持ちです。
震災遺構として、
どのくらいの年月、守られるのでしょうか。
.
結婚式場「高野会館」は
ホテル観洋のグループ施設でした。
老人クラブの宴会が盛大に開かれていた震災当日
激しい地震と4階までの津波に襲われますが、
スタッフが引き止めたりして
ここに残った330人は屋上に上がって助かりました。
青い標識のところまで波がきました
いま、高野会館は
バスの行き来がしにくい盛り土の間に取り残され
民間の震災遺構としての存在が危ぶまれています。
会館を残そうとする意義は
地元の人はもちろんのこと、
各地から訪れた人が
「五感で震災を感じる現場」が必要だからです。
それによって、命を守る思いや知恵や力を
全国に広めてもらいたい
という願いが込められています。
何度乗っても、胸に迫る「語り部バス」。
悲しい話だけではなく、
人間の底力がここにはあります。
また、語り部は何人もいるので
乗れば乗るほど
その人それぞれの感じたディテールを
知ることもできるのです。
また、来年も乗ろう。
ジャーナリストの瀬戸川礼子でした。
====