私って、「単なる私的な小集団」 なんだそうです(不機嫌)。
りそな銀行へ用事を済ませに行ったところ、
仕事用口座の「顧客属性等照会書」を見る機会がありまして、
書類に印字してあったカテゴリーが冒頭のそれ。
私の事務所「リバーオフィス」は株式ではなく個人事業ですが、
その銀行風に言うと、「単なる私的な小集団」となるようです。
確かに小さいですが、なにもそんな言い方しなくたって。
[単なる」って何ですか、「単なる」って。
この言葉は、
ただそれだけの(広辞苑)とか、取るに足らないとか、
どうでもいいとか、何かを打ち消す意味で使われる言葉ですよ。
複数ではないという意味にしたいのなら、
「単体の」とか「単一の」とか、ほかに言い方あるでしょうに。
「私的な」というのも、どうなんですか。
小さいから私的、大きいと社会的
というニュアンスがひしひしと伝わってくるわけで、
とすれば、そんな区分けは偏っています。
大きな会社の経営者が
私利私欲で事業を営むニュースは枚挙に暇がないこと
誰でも承知のはず。
小さな会社の経営者が、
私利私欲よりも社会的意義を尊重した事業を
営んでいることだってあります。
目を細め、じーっと、穴の開くほど印字を見つめていたら、
そうだ、もっと多くの人がもっと傷つく言葉を
浴びせられてることに思い当たりました。
「後 期 高 齢 者 医 療 制 度」
ひどい言い方。
人間に対して使う言葉じゃないと思いますけれど。
まるで「終わりが近い」と言われているようだもの。
この言葉を初めて耳にしたのは、
制度が始まる前の3月でした。
呉服店に足袋を買いに行った際、
店番をしている年配の女性たちの会話が聞こえてきたのです。
「あなたのとこ、来た? 後期高齢者だって、私ら、今度から」
「なんの話?」
「保険証、来たでしょ。75歳以上は後期なんだって、後期」
「なにそれ」
「だーかーらー、×○☆△◎×▽○×・・・・」
という感じで会話は続いていました。
その年で現役とは素晴らしい。
と思うのと同時につぶやいていましたよ。
「後期はないだろう」
もっとも、
後期高齢者という言葉は広辞苑にも載っていることから、
同制度のために作られたわけではなくて、
75歳以上の人を指す言葉としてもともとあったようです。
でも、だとしても、「この言葉、嫌だな」と誰も思わなかったのか。
「単なる」 しかり、
「私的な」しかり、
「後期」 しかり。
誰か途中で気付き、変えることはできなかったんでしょうか。
言葉の先には、感情を持った人間がいる、ということを
誰一人、考えなかったんでしょうか。
そんなはずはない、そう思いたいけれど。
ジャーナリストの瀬戸川礼子でした。
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