2019.june
梅雨入りした6月7日、
スポーツジムでぜーぜー走っていました。
限界にチャレンジ中で、苦しい苦しい。
そういうときって、眠っていた思いが目覚めるのかな。
強く思ったことがありました。
「一生ついて行きます」
という言葉がありますよね。
おめでたい席か、または冗談か、
どちらかという感じで使われますけれど
あれって、
自分自身にこそ言うべき言葉じゃないかって。
私は一生、私についていく。
そして
一生をかけて私を幸せにする。
誰かにしてもらうんじゃなくて、自分がする。
こういう人こそが人にも優しく、人を尊ぶことができる。
そして多くのことは誰かと一緒にするわけなので、
仕事でもプライベートでも、
そんなことを思える人同士が出会ったとき、
素晴らしさは何倍にもなると思う。
先の言葉をtwitterにアップしたら、
きれいごと同盟 (^^) を結んでいる友人で、
研修講師や本も書かれている有冬典子さんが
素敵な表現でツイートしてくれました。
すごく褒めてくれて気恥ずかしいけれど、
自分ではできない分析をしてくれたので
備忘録として転記させていただきました。
↓
ご自分を大切に慈しんでいるからこそ、素直な心が育まれ、
眼に映る世界はいつも愛おしく、
それを大事に撫で、愛でて過ごしている。
そうやって世の中を自分の眼に映し続けているからこそ、
日常のあらゆる豊かさが目からだけでなく、
耳からも皮膚からも、全身から身体の中に入り込み、
さらにご自分を健やかに慈しめることになる。
…という循環をご自身の身に起こしている、
友人のジャーナリスト礼子さん。
いつも彼女を見ているとそう感じます。
なぜそう生きられるのかな、と思っていましたが、
こうして一生をかけて
自分を幸せにする覚悟を持っているのですねえ。
それは本当に素晴らしいこと。
平和への祈りをするならば、
ここからはじまりここに帰結せよ
と言っても、過言ではないのだから。
ありがとうございます!
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私は一生、私についていく
私は一生をかけて私を幸せにする
もし、「まあそうかも」と思えたのなら、
声に出して言ってみてほしいです。
すると、面白いですよ。
言霊(ことだま)なのか知らないけれど、
もっと強い気持ちが中からわいてくるんです。
どうせ言うなら、力強く言ってみるといいです。
そしてさらに、最後に言ってみよう。
「見てろよ」 って。
これは人に言っちゃだめ(笑)。
真剣に言うのもよくなくて、
ユーモアにくるみながら言うイメージです。
こういうことを書くと、
宗教っぽいとか言う人がいるかもしれないんですけど
まったく違いますので。 一切、無縁ですので。
で、そういう方に私が伝えたいのは、
心とか思いとか、目に見えないものを持っている以上、
目に見えない力を自分が持っているということを
信じてみたらいいんじゃないかな、と。
信じる相手は自分ですよ。
続きがあるんですが、それはまた今度
瀬戸川礼子でした