きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

赤塚不二夫さんのインタビューの思い出1994

 

【赤塚不二夫さんの思い出】

 

実家に帰省して、本棚に宝物を見つけました。
赤塚不二夫著『これでいいのだ』

 

1994年8月8日、
赤塚不二夫さんのご自宅兼事務所に
インタビューで伺った際、書いていただきました。

 

画像













 

 
 
 
できればサインをいただけると嬉しいのですが…と
本をお見せすると、

「読んでくれたの」と、
顔から丁寧に描き始めてくれた赤塚不二夫さん。

私は内心、「顔がこんなに下だと足まで入るかな~」

なんて思って見ていたんですが、
わお♪ すてきな逆立ちのバカボンパパが
出来上がったのでした♡



この本『これでいいのだ』は、
誰にでも等しく接し、
人として曲がったことをしなかった父と、
明るく優しい母。
素晴らしいご両親のことが詳しく書かれていて、
バカボンパパとママの原点を思い起こさせてくれます。

 
現在は、この表紙に変更されています。こちら。
赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ (文春文庫) - 赤塚 不二夫
 

 

さて、当時私は
『週刊ホテルレストラン』の編集記者。

 

有名人による、ホテルやレストランなどについての
エッセイページを前任者から引き継ぎ、燃えていました。
 
前任や前々任の人は、大学教授や知識人など、
ものを書くのに慣れていて、依頼しやすい人に
書いてもらうケースが多かったのですが、

私は、せっかくやるなら、
みんなが「わあ!」と喜んでくれるくらいの
有名人に出てもらおう!って思っていました。
なんか自慢みたいで申し訳ないけど、そう思ったんです。


有名人の OK をもらうのはすごく大変だけど、
とにかく「みんなが知っているときめく人」に
次々と依頼していきました。

 

どうしても出てほしい方には、
断られても二度三度とお願いしました。
結果、出てくれた方が何人もいます。

 

週刊誌だから、毎週1人、必ず出てもらわないといけません。
常に時間がありません。
インタビューを希望される方には会いに行って代筆しました。
 
森下洋子さん、大地真央さん、林家正蔵さん、
谷村新司さん、安藤裕子さん、森田正光さんなどなど
いろいろな方にお目にかかりました。



赤塚不二夫さんが、執筆ではなくインタビューを
希望してくだったのは本当に幸運でした!
堂々と会いに行けたのですから!

 

「僕は海外に行ったらすごくチップを弾むんだ」
などなど、楽しい話を聞かせてくれました。

 

ひと通りインタビューが終わると、
これは内緒ねと言って、
もう、大変な、忘れられないパロディ動画も
テレビに映して見せてくれました。
 
お友だちとふざけて撮った、
仮想のインタビュー動画。
内緒の約束をしているので書けませんが、
私はげらげら笑い転げて、最高の時間でした。
あれは絶対にテレビじゃ放映できないわ(笑)。



結局、4時間いました。
インタビューは2時間以内で終わったので、
後は、その動画を見せてもらったりして
笑って過ごしていました。

 

しばらくすると、
赤塚不二夫さんと私が座っているテーブルに、
(掘りごたつ式でした)
仕事関係の方が代わる代わる来られます。
 
インタビュ―はとっくに終わっているし、
これはお邪魔だなと思って、
「そろそろ失礼します」
と私は逐一、腰を上げるのですが、
「そこで聞いてればいいよ」
と、毎回、赤塚さんは引き止めてくれるのです。



ずうずうしい私はその都度、居残り、
漫画の打ち合わせなどを、
ふむふむと横で聞かせてもらいました。
なんて贅沢な時間だったことでしょう。



昼間の訪問でしたが、
赤塚さんは何倍も焼酎をおかわりしていて、
身体のことがちょっと気になりました。
赤塚さんが長期入院されたのはそれからもっと後だったと思います
 
ついにご自宅兼オフィスを後にするとき、
優しく明るい声でこう言ってくれました。
 
「またいつでもおいでよ。みんなここに集まるんだ」
 
その声を鮮明に覚えています。


残念ながら、あれが最初で最後のご縁でしたが

身近な方々が語られているように、
ものすごくやさしくて、
ものすごく人に気を遣う姿に、
束の間、触れさせていただきました。



私も楽しい思い出を与えられる人になりたいな。
実家の本棚に潜んでいた宝物が、
楽しかったあの夏の日を思い出させてくれました。



元『週刊ホテルレストラン』編集記者
現在は経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。