きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

『ゆほびか』で安田未知子先生の記事を執筆しました

こんにちは。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。


健康雑誌の『ゆほびか』(8月号)さんで、
安田未知子先生の記事を8ページ書かせていただきました
(86~93ページ)。
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“沖縄のマザーテレサ”と呼ばれる未知子先生。
14歳で沖縄戦を経験し、戦後は小中学校の先生に。
5人の自分の子どものほかに、
恵まれない子どもたちを自分の家に住まわせたり、
通わせたりして、なんと43人を育てました。
学校の先生をしながら、週末は盲学校・聾学校に出向いて手伝いました。
2005年には、知的障がい者のための世界的活動
「スペシャルオリンピックス」の沖縄支部を立ち上げています。
常に弱者に寄り添う姿勢から、沖縄のマザーテレサと言われる先生です。

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「誰かがやらなければならないから、私がやりましょうね」。

これが未知子先生の考え。
81歳でふさふさの黒髪。睡眠時間はなんと2時間。
エネルギーあふれる方です。


先生のおいたち、ご両親の話、生徒たちの話、戦争の話。
8ページでは足りないのですが、ぎゅっと凝縮させていただきました。
戦争の話は書くのが辛くて辛くて…、涙で何度も筆が止まりました。
実際に経験した先生はいったいどれほどの苦しみだろうと思います。
奇しくも来週6月23日は沖縄戦68回目の慰霊の日です。


今回の記事は、偶然が重なりました。
2年前の2011年2月、
未知子先生と私は沖縄・東村の「カナンスローファーム」(ホテル)
に行きました。仲間が何人も集まって楽しい夜を過ごしました。

往復約5時間のドライブ中も、先生からいろいろな話を聞いて、
その帰り道、先生の家が近づいてきたころ、私は言いました。
「未知子先生、私、いつか、先生の記事を書かせていただきたいです」

そして2年後の今、それが叶いました。

なぜ叶ったのかというと、これが不思議なご縁なのですが、
執筆依頼をくださった『ゆほびか』の編集者の男性は、
未知子先生と私がカナンスローファームに出向いた3カ月後、
同じホテルに旅行されているんです。
そのとき、オーナー夫妻から未知子先生の話を聞いたとのこと。
「いつか未知子先生という方を記事で紹介したい」
そう思われたそうです。
それで先生のことを調べていたら、
たまたまネット検索で私のこのブログが引っかかったらしいです。

2年前に、見知らぬ同士が同じ目的を抱き、叶ったという事実。
面白いですね。


多くの出来事は、始まりもルートも突きとめられないけれど、
きっとものごとって、こんな風に、あらかじめ決まっているのかもね。


雑誌の名前は『ゆほびか』ですよ♪
「ゆほびか」は、「ゆったり豊かなさま」を表す日本の古語だそうです。

未知子先生の話を広めるお手伝いができてうれしい、
ジャーナリストの瀬戸川礼子でした

未知子先生と初めて出会ったときのブログはこちら♪ https://reikosetogawa.seesaa.net/article/200912article_8.html

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それでも前を向いて歩く、
旅館の女将さん55人の胸の内。
1人4ページを割き、顔写真付きで、
おもてなし、教育、考え方など
普段あまり聞けないさまざまな思いをご紹介しています。
『おもてなしの原点 女将さんのこころ その一』

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