きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

「肩が凝る」という感覚は夏目漱石のせい?


首こり&肩こりをなんとかするため、
今日はいつもお世話になっている整体へ行きました。

先生 「首・肩ですかね?」

私「はい。いつもながら」

 

10分ほど経過

 

先生 「首こりの強い人は、     
   勉強などすごく真面目にやりすぎてしまう人か、     
   考えすぎてしまう人のどちらかが多いですね」

私「んー、私はどちらだろう?」

先生 「瀬戸川さんは、“天然”な方…みたいなので、    
   どちらも大丈夫だと思います」

私「あ…? 、ふふふ。そっか」

すごく真面目な私ですが、
同じくらい適当。
絶妙なバランスで成り立っております。


そういえば、ちょっと前TVで、

「肩が凝る」という表現は、

夏目漱石が小説の中で使って

広まったことを知りました。


それ以前は、

肩こりという感覚は日本人にはなかった。

 

言葉が生まれたことで、

その感覚を知ってしまったというのです。



また、本でこんな話を読みました。

動物には人間のような痛みはない、と。

なぜなら、動物には言葉がないから。


「痛い」という言葉がないので、

その感覚を理解することはできない。

 

幸せな気分ではないだろうが、

少なくとも人間ほどの苦痛ではない、

と動物学者の説明が書かれてありました。


それは動物に聞いてみないと何とも言えないですが、


「言葉がないと、その感覚もない(ようだ)」


というのは、なるほど、言えてるなと思いました。


日本語を外国語に、

外国語を日本語に訳すとき、

当てはまる言葉がない、

ということがありますが、


その国では

その感覚や事象がないから、

言葉で表現する必要がなかったんですよね。


ということは、
もし「悲しい」とか「辛い」

という言葉がなかったら、 

その感覚に私たちは鈍感だったのかな。



知らなくていい言葉も

たくさんある世の中だけれど、

私はたくさんの言葉を知って、

吟味して、表現していきたい。



とりあえず「肩こり」

という言葉を知ってしまった私は、

自覚症状を緩和するため、

天然ぶりを自画自賛する方向でいこうと思います。


肩こりと共存中の経営ジャーナリストの瀬戸川礼子でした。


【追伸 2017.7.16】
でもやっぱり考えてみると、
言葉がなくても感覚だけはあるということがあるはずです。
ただ、言葉のある・なしによって、
その感覚が顕在化するか、潜在意識のままかが変わるのでしょう。
そして、五感という感覚が鈍っている現代では、
言葉の説明力がますます大事になってくるでしょう。
と同時に、感覚を鈍化させない。感覚を磨き、感覚を信じる。
それはもっと大事になってくるでしょう。