きれいごとでいこう!

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子です。いい会社のいい話から私的なつぶやきまで、公私をつづります。

ハンサム先生とボサボサ先生(下) ~かつての中学生日記~

 

<前回まで> こちら

 中学生だった私たちは、いたずらを計画。

 一人目のボサボサ先生の反応に気をよくしたクラス一同は、

 2人目のハンサム先生を迎えました。

 

 

さあいよいよ、期待の星、ハンサム先生です。

いつも通り、さわやかに教室へ入ってきました。

満を持して、日直が号令をかけます。

 

「起立、礼」

 

そして

「着席!」

 

“ギ―ッ”、

“ガガガガガ、ギギギギギギギ”、

“ガタン、ガタン”

 

さらにヒートアップさせた騒音が、教室中に鳴り響きました。

素晴らしい団結力、最強のチームワーク。この快感。

 

先生、どう? 面白いでしょ?

誰もが期待に胸を膨らませ、先生の笑いを待っていました。

 

 

「・ ・ ・ ・ ・」

 

 

 ―― 先生の顔は固まっていました。

 

 

 

そして確か、

「今日はできない」とか何とか言って、
職員室へ帰ってしまいました。

 

「え?」

 

「うそ」

 

 

残された私たちは茫然自失。

しばらく立ち尽くし、やがてざわざわし始めました。

 

非行とは (ほぼ)無縁の (だいたい)まじめな私たちは、

「どうしよう、どうしよう」と、ひとしきり大騒ぎした後、

数人がクラス代表として職員室へ謝りに行くことにしました。

 

「もっと派手にやろうよ」
と言った気がする私も、謝罪集団に加わりました。

 

 

「先生、すみませんでした」

「ほかの先生が笑ってくれたので、調子に乗ってしまいました」

「本当にすみません」

「すみません」、「すみません」、「すみません」

 

ハンサム先生は無表情。
横を向いたまま、顔も見てくれません。

 

でも、ここは職員室。

ほかの先生たちがいます。

「あんなに謝ってるのに」、「もう許してあげたら」

そんな無言の空気が助け舟になった感じで、

やっと許してくれたのでした。

 

幸い、次の授業はいつも通りに行なわれ、

先生の冗談も復活しました。

 

ウン十年前の話ですが、

これほど鮮明に覚えているのは、

「人は見かけによらない」ということと、

「同じ出来事でも、人によってこんなにとらえ方が違う」

ということを教わった事件だったからです

 

(・・・でも長らく忘れていて、活用できていたか疑問です)

 

そして、

2人とも教職ですから、

2人ともいわゆるインテリなわけですが、私には

「インテリの悲観論よりアホの楽観論」

の象徴として蘇ったのでした。

 

これは、どちらが正しいということではなくて、

どちらが好きかの話。

 

なので、ハンサム先生が悪いということはありません。

確かにハンサム先生は悲観的で全然面白くなかったけれど、

人はいろいろなとらえ方をするよ、

ということを教えてくれました。

 

それに、もし2人とも大笑いしてくれていたら、

私たちは際限なく調子に乗って、

やがて何か取り返しのつかないことに

発展していたかもしれません。

 

さらに言えば、

誰だってハンサム先生のような

厳格な面を持っているはずで、

それがないと何でもOKな世の中に

なってしまいますからね。

あれはあれでよかったのです。

 

ただ、私はアホの楽観論のほうが好き。

圧倒的に。

それを、あの出来事を思い出しながら再確認しました。

たまに悲観的な自分が顔を覗かせることもよく分かっているので、

きっと、本物のアホへの憧れもあると思います。

 

 

ちなみに、

ボサボサ先生はあの後もやっぱりボサボサで、

冗談も残念な感じ。

さえませんでした。

けれど、ギョロ目を怖がる生徒はいなくなり、

ボサボサ先生は密かに尊敬され続けました。

 

 

笑いは人を救いますね。

 

自分を笑い飛ばせる人、

 

哀しみを笑いに変えられる人、

 

どんなときもそこに笑いを探せる人

 

そういう人って本当に魅力的です。

 

 

ボサボサ先生、ありがとう。

ハンサム先生、ありがとう。

いまごろお元気でしょうか。

私は元気です。

 

経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。

 


旅館の女将さん55人の人生哲学。
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